東京地方裁判所八王子支部 昭和55年(ワ)152号 判決 1981年10月26日
原告 竹原辨治郎
右訴訟代理人弁護士 永野謙丸
同 真山泰
同 小谷恒雄
同 保田雄太郎
同 藤巻克平
同 竹田真一郎
被告 埼玉県
右代表者知事 畑和
右訴訟代理人弁護士 常木茂
主文
被告は原告に対し金七一九万五六六三円及び内金六五四万五六六三円に対する昭和五二年一〇月一二日から、内金六五万円に対する昭和五六年一〇月二七日から、各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の本訴請求を棄却する。
訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
この判決は、原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。ただし、被告において金二五〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告
「被告は原告に金一五〇一万八六一一円及び内金一三六五万三二八三円に対する昭和五二年一〇月一二日から、内金一三六万五三二八円に対する本訴判決言渡の日の翌日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言。
二 被告
「原告の本訴請求はこれを棄却する。」との判決及び被告敗訴の場合は、仮執行免脱の宣言。
第二主張
一 請求の原因(原告)
(一) 原告は東京都保谷市ひばりが丘北三丁目五番一八号で写真機及び写真関係商品の販売等を業とする訴外株式会社カメラ研美社(以下訴外会社と称する)の代表取締役である。
(二) 原告は次のとおり受傷をした。
(1) 受傷年月日
昭和五二年一〇月一二日午後七時頃
(2) 受傷場所(事故現場)
埼玉県所沢市下安松九四六番地先
埼玉県道(主要地方道第四二号、練馬、所沢線)の側溝
(以下別紙現場見取図参照)
(3) 受傷の状況
イ、原告は受傷当日、訴外会社のカメラの買主である所沢市下安松一〇二六番地の黒岩軍三方に月賦代金の集金に赴いた。
原告は黒岩方に行くために、事故現場より西方約一〇〇メートルの所にある安松バス停留所(道路南側)でバスから下車し、道路を横断して道路北側に渡った。この北側には道路に沿ってガードレールが設けられており、その外側(道路の中心から)に沿って暗渠の側溝(上蓋があり、歩行者はその上を歩道として通行するようになっている)があった。
原告は右暗渠上を東行して事故現場の手前の十字路を横断し、事故現場にさしかかった。
ロ、受傷した時刻は既に日没後で、附近には街燈、軒燈等の照明設備は皆無で周囲は暗闇であった。
原告は十字路の南端まで側溝の上蓋の上を歩いて来たが、暗闇であったので、別紙見取図で点から東方は側溝には上蓋がなくなって開渠となっていることが見えず、側溝にはその侭続いて上蓋があるものと思い、その侭真直ぐ進んだために、原告は点から側溝内に転落した。
原告は右転落により左踵骨骨折、左足捻挫の傷害受けた。
(三) 本件事故は埼玉県県道の側溝において発生したものである。
別紙見取図で点の部分には、歩行者が側溝に転落することを防止するために、被告によって従前防護柵が設置されていた。
ところが本件事故発生以前において、この防護柵は破壊され取り外されており、そのために原告は側溝に転落した。
このように防護柵が破壊されていたにも拘らず、道路管理者たる被告埼玉県(道路法第一五条)は防護柵の修繕復旧を怠って放置し、その結果原告が受傷するに至ったものであるから、被告の管理する道路に瑕疵があったもので、この瑕疵に基いて生じた損害について被告は原告に対して賠償する義務がある。
(四) 事故現場と被告の責任
(1) 事故現場附近の道路と側溝、歩道との関係は普通一般の場合と異なり、特異な状態にある。
現場見取図の点から点までの間に於る道路、側溝、歩道の状況は、県道の北側に沿って幅約五〇センチメートル、深さ約五〇センチメートルの開渠の側溝があり、更にその北側に道路よりは約五〇センチメートル高く歩道が設けられている。この歩道は点の北側から登り坂となっている。
歩道と側溝との間にはフェンスが設けられているが、歩道があるのは点と点の間だけで、側溝もこの間だけが開渠となっており、点の西方、点の東方の側溝は何れも暗渠となっており、その上蓋の上が歩道となっている。
(2) 十字路の西方より側溝の上蓋の上を歩いて来た通行人は、十字路を横切って(横切る場合にも側溝の上蓋の上を通ることになる)、その侭真直ぐ進んでは開渠の中に転落することになる。そこで通行人は十字路の上蓋の切れた所、即ち点の直前で左(北)の方向に方向転換して歩道に入らなければならない。
特に夜間においては附近に街燈、軒燈等の照明設備がなく真暗闇となるので、この方向転換は極めて困難であって、側溝に転落する危険は非常に大であり、点における防護柵は、この危険防止上必要欠くべからざる道路の附属物(道路法第一条、第二条一項、二項一号)である。
(3) 事故現場点にあった防護柵は昭和四八年頃の道路改修工事が行われた際に右(2)のような危険を予想して被告により設けられたものであったが、その後この防護柵が破損し(破損の年月日は不詳)たにもかかわらず、被告がこれを放置していたために本件事故が生じた。
本件事故当時は防護柵の北側の支柱(フェンスの支柱と共用)は残っていたが、南側の支柱は折れ曲って側溝の中に倒れ落ちており、支柱間の防護柵も失われた侭の状態であった。
結局通行人の危険防止のための防護柵は滅失しており、通行人は側溝に転落する危険にさらされていたものであって、防護柵を設置した意味は全く失われていた。
(4) 事故現場の点より東方約七〇メートルの点(岸メッキ工場主、岸襄宅正門前)の側溝にも防護柵が設けられているが、これは点の防護柵と同時に設置されたものと認められ、点の防護柵と同じものが点にあった。
点と点はその地形的状況が全く同一で、防護柵の必要度も同一であり、点の如き防護柵が点にも破壊されずに存在していれば、原告は受傷しないですんだのである。
(5) 以上のとおり被告において交通上の危険が予見されたために、その防止上必要であるとして防護柵を設けたものであるにも拘らず、これが破損して欠落しているのに、その補修復旧を怠り、これを放置していたことは、道路管理者である被告の怠慢であり、道路の附属物の管理、保存に瑕疵があったものというべく、その瑕疵により原告は受傷したものであるから、この受傷によって生じた損害について、国家賠償法第二条第一項、仮りに然らずとするも民法第七一七条第一項に基き、被告はこれを賠償する責任がある。
(五) 原告の傷害の状況
(1) 原告は受傷の翌日である昭和五二年一〇月一三日に東京都田無市緑町三丁目六番一号の医療法人財団田無病院に於て診察を受け、同日同病院に入院し、同年一〇月二九日に退院するまで一七日間入院した。更に原告はその後に於ても同五三年一月二五日までの間に、同病院に七日通院して治療を受けた。
原告は昭和五三年七月四日に同病院において、本件受傷の結果、障害の程度は身体障害者福祉法別表第五の第二(第七級)に該当するものと認定された。
(2) 原告は昭和五三年九月二九日付で三鷹労働基準監督署長より、本件受傷については労働者災害補償保険法により第一二級の一二の障害補償給付をする旨の決定を受けた。
その結果原告は右同年一〇月一三日に同署長より同級に該当する障害補償一時金として金四六万八、〇〇〇円、障害特別支給金として金一三万円の計金五九万八、〇〇〇円を支給された。
(3) しかし原告は右(二)の障害補償費支給決定を不服として、東京労働者災害補償保険審査官に対して右決定の処分取消の審査請求をした。
その結果同五四年五月一日に労働者災害補償保険法第三五条第一項に依り、右処分は取消され、原告の障害等級は左患側の運動領域が二分の一以下に制限されているので、「一下肢の三大関節中の一関節の機能に著しい障害を残すもの」に該当し、障害等級表第一〇級の一〇に相当するものと認められた。
そして原告は追給として障害補償一時金四三万八、〇〇〇円、障害特別支給金一三万円の計金五六万八、〇〇〇円を支給された。
よって原告が支給された障害補償費は、右(二)、(三)を合わせると、
障害補償一時金 金九〇万六、〇〇〇円
障害特別支給金 金二六万円
合計金一一六万六、〇〇〇円となる。
(六) 原告の被った損害
(1) 前述のとおり原告は訴外会社の代表取締役であり、社長の地位についていた。ところが原告は本件受傷により同社において従前どおりの仕事をすることができなくなった。その最たることは、歩行困難となったことによるものである。原告は同社の顧客先に赴いて集金することを担当していたが、それができなくなった。
(2) 右(1)のことが原因で原告は昭和五四年八月一日に訴外会社の社長の地位を原告の三男である竹原義治に譲り、自らは同社の会長に退いた。
(3) また原告が右(1)のとおりに仕事ができなくなったので、原告は従前同社から代表取締役報酬として月額金二八万円を得ていたが、昭和五四年八月分報酬より月額金一五万円に減ぜられてしまった。
(4) 従って原告の逸失利益は、
① 既に現実化した損害として昭和五四年八月一日ないし昭和五六年九月三〇日までの二六箇月間の逸失利益として、
13万円×26=338万円
即ち、金三三八万円である。
② 原告は、明治三四年八月一九日生れであるので、昭和五六年八月一九日で満八〇才となる。
厚生大臣官房統計情報部編昭和五三年簡易生命表によると、日本人男八〇才の平均余命は六・〇一年であり、中間利息算出のための六年間の新ホフマン係数(5/12パーセント、月別)は、六二・八五二一八〇六二である。
原告は、現在でも健康であり、終身訴外会社会長の地位に就いておくことができるので、①以後の逸失利益として、
13万円×62.85218062=817,07834806
即ち、金八一七万〇七八三円(円未満四捨五入)である。
従って原告の逸失利益は、合計金一一五五万〇七八三円である。
(5) 原告は本件受傷により前述のとおり、一七日間入院した。その間の入院中雑費は一日金五〇〇円として、
金八、五〇〇円である。
なお原告の同病院入院費、通院費は、三鷹労働基準監督署長より同病院に労働者災害補償保険金をもって直接に支払われた。
(6) 慰謝料
本件受傷により、原告は前述のとおりの入院、通院を余儀なくされ、障害等級第一〇級の一〇を認定され、社長の地位を退き、実際に減収ともなった。
かかる諸事実を勘案して原告は被告に慰謝料として金三〇〇万円を請求する。
(7) 右の金額合計は、金一四五五万九二八三円であり、右金員より原告が支給された障害補償一時金九〇万六〇〇〇円を控除すると、金一三六五万三二八三円となる。
(8) 弁護士報酬
原告は昭和五四年七月に埼玉県知事宛に本件受傷による損害賠償を求めて損害賠償請求書を提出した。
ところが同年八月に被告の職員二名が原告宅に来て原告に対して、不思議なことに右損害賠償請求書は受け取れませんといって同請求書を返戻した。そこで原告は不審に思い何故受け取れないのかと問い質したが、二名の職員はこれに対しては何らの返答をもせずに帰ってしまった。
かくのとおりに被告が理由を全く明示せずに原告の損害賠償請求を拒否したので、原告は被告に対して本訴を提起する他はなかった。そして原告は訴訟については素人であるので本件訴訟代理人に本件を委任せざるをえなかった。
原告は原告訴訟代理人らに、右(7)の金額の一割に当る金一三六万五三二八円を本訴第一審判決の言渡と同時に払うことを約した。
(七) よって原告は被告に対し金一五〇一万八六一一円及び内金一三六五万三二八三円に対する原告受傷の日である昭和五二年一〇月一二日から、内金一三六万五三二八円に対する本訴判決言渡の日の翌日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否(被告)
請求の原因(一)記載の事実は認める。
同(二)記載の事実は不知。
同(三)記載の事実のうち、被告が原告主張の道路及び側溝の管理者であることは認め、その余は争う。
同(四)(1)記載の事実は認める。
同(四)(2)記載の事実のうち、道路の構造が原告主張のとおりであったことは認め、その余は争う。
同(四)(3)記載の事実のうち、防護柵の状況が原告主張のとおりであったことは認め、その余は争う。
同(四)(4)記載の事実のうち、点の防護柵が原告主張のとおりであったことは認め、その余は争う。
同(四)(5)は争う。
同(五)記載の各事実は不和。
同(六)記載の事実のうち、原告が明治三四年八月一九日生まれの男子で、事故当時七六年であり、訴外会社の代表取締役であること、原告から損害賠償請求書が提出され被告がこれを原告に返戻したことは認め、その余は不知。
訴外会社には、事故前から、原告と原告の三男竹原義治の二人の代表取締役が共同して会社を代表することになっており、原告の同族会社であるから、原告が本件事故のため代表取締役を退任するとか、代表取締役としての給料を減額することはあり得ない。従って、原告が代表取締役の報酬を自ら減額し、逸失利益を損害としてその賠償を求めることは相当でない。
また、訴外会社の営業成績低下の原因の大部分は、一般管理販売費の高騰にあたり、本件事故による原告の負傷との間に因果関係がない。
原告が労働者災害補償保険法の規定による給付として受けた金額は全額損害額から控除すべきであるが、その額は給付を受けた額に給付を受けた日の翌日から昭和五六年九月三〇日まで年五分の割合による金額を加算した額である。
また原告が、昭和五六年九月三〇日現在で損害額を算定し、同年一〇月一日以降の分については中間利息を控除しながら事故発生の日である昭和五二年一〇月一二日からの遅延損害金を請求するのは重複請求であって、右の場合には、遅延損害金は、昭五六年一〇月一日から請求し得るにすぎない。
三 抗弁(被告)
原告が負傷したと主張する場所より、約二〇メートルの地点には防犯燈が、約四五メートルの地点の電柱には照明燈が、約七〇メートルの地点には照明入看板がそれぞれ設けられており、それが点燈していたので現場はさほどには暗くなく、通常の注意をしていれば、道路の側溝の蓋の有無はわかる筈であった。現場が暗闇であったとすれば、一層注意して歩行すべきである。従って、原告が側溝に転落したとすれば、原告の過失によるというべきであり、仮に被告に損害賠償責任があるとすれば、賠償額を定めるにつき、原告の過失を斟酌すべきである。
四 抗弁に対する認否(原告)
抗弁記載の事実のうち、被告主張の照明設備が存することは認め、その余は否認する。
これらの照明設備は、光度、距離、地形から原告の受傷した事故現場まで光が届かず、本件事故当時、事故現場は暗闇であった。
被告は、本件事故現場が暗闇で夜間照明を必要とするため、本件事故後の昭和五三年一一月に現場近くに道路照明を設置している。
第三証拠《省略》
理由
一 《証拠省略》によれば次の事実が認められる。
(一) 原告は、原告とその家族で経営する訴外会社の代表取締役であるが、昭和五二年一〇月一二日カメラ月賦代金集金のため、西武線清瀬駅から所沢駅行バスに乗車し、同日午後七時頃埼玉県所沢市下安松六二六番地付近の安松バス停留所で下車し、埼玉県道練馬、所沢線を横断したうえ、右道路を清瀬方向に歩行し、同市下安松九四六番地先に至ったところ、右道路側溝に転落し、左踵骨骨折、左足捻挫の傷害を負った(以下、右事故を本件事故という)。
(二) 本件事故現場は、被告が設置管理する所沢市方面より清瀬市方面に通ずる埼玉県道の幅員約〇・五メートルの北側側溝であって、所沢市方向から事故現場までの約二〇〇メートルの間は側溝に上蓋を設けて暗渠とし、車道部分と境にガードレールを設置して歩道として利用しているが、事故現場から清瀬市方向約四三メートルの側溝には上蓋がなく、開渠となっているため、事故現場直前の十字路から右開渠部分の側溝北側に歩道が設けられていた。
(三) 被告は、側溝への転落などの事故を防止するため、右開渠部分の側溝と歩道の境にフェンスを張ると同時に、開渠の両端にそれぞれ防護柵を設置したが、本件事故当時、事故現場(開渠部分西側)の防護柵は損壊し折れ曲った支柱が残存するだけであり(事故前の何時頃からそのような状態となっていたか証拠上明らかでない)、開渠となっていたことを知らずに所沢市方向より暗渠上の歩道を歩行してきた通行人は、そのまゝ直進すると側溝に転落する危険性が大きかったのに拘らず、被告は何らの措置も講ずることなく、これを放置していた。
(四) 本件事故時、現場は既に日没後の暗闇であり、原告が歩行していた右道路北側には街燈等の照明設備はなく、対面する南側の事故現場から約五〇メートルの地点に電柱添加照明が一基と約七五メートルの地点に照明入看板一基が存し、右道路と交差する事故現場から約三〇メートル南方の道路傍に防犯燈が存在するが、これらの照明は、いずれも事故現場までは光が届かず、側溝上の歩道が開渠のため側溝の北側に設けられ、直進すると側溝に転落することを識別することは困難な状態にあった。
(五) 原告は、本件事故現場付近を通行したのは、事故時がはじめてであり、側溝、歩道が右の状況にあることは全く知らないまゝ前記(一)のとおり、右側溝上の歩道を清瀬方向に歩行し、十字路を横切って直進したところ、防護柵の壊われて存しなかった側溝内に転落し、負傷するに至った。
以上の事実が認められ、ほかに右認定を動かすに足りる証拠はない。
右認定事実によれば、本件事故当時、被告の設置管理する埼玉県道練馬、所沢線の本件事故現場側溝に設けられた防護柵(右防護柵は、道路法二条一項、同条二項一号所定の道路の附属物であって、被告が設置したものであり、被告にその管理責任がある)が損壊し、前記(3)(4)認定のとおり、歩行者が側溝へ転落する危険が存したのに拘らず、被告においてこれを放置した状況にあったから、右道路は、歩行者に対し通常有すべき安全性を欠如していたものというべきである。従って、右道路の設置、管理には瑕疵が存し、右瑕疵が原因となって本件事故が発生したものというべく、被告は国家賠償法二条にもとづき、本件事故によって生じた原告の損害を賠償すべき義務がある。
二 被告は、本件事故現場付近の照明等の状況から、原告が通常の注意を用いれば側溝の蓋の有無は判別できたとして過失相殺を主張する。
本件事故当時における現場付近の照明設備は、前記一(四)認定のとおりであり、いずれも事故現場まで光が届かず、はじめて同所を歩行する原告が側溝の蓋の有無を識別し、進路左上方に設けられた歩道を通行することができる状況であったとは到底認め難く、また前記認定の状況にある道路を歩行するに当って原告が通常払うべき注意を怠ったことを認めるに足りる証拠はないから、原告に損害賠償額を斟酌すべき過失が存したものとはいえない。従って被告の右抗弁は理由がない。
三 そこで原告主張の損害額について判断する。
(一) 《証拠省略》によれば、原告は本件事故によって左踵骨骨折等の傷害を負い、昭和五二年一〇月一三日東京都田無市緑町三丁目所在田無病院に入院治療を受け、同月二九日退院し、その後昭和五三年一月頃まで一ヶ月に五ないし七日位通院治療を受けたこと、原告には右傷害のため、左足関節が内踝下方肥厚、変形、左足関節運動制限等の後遺症(昭和五四年七月四日診断時症状固定)が存し、このため歩行痛が強く跛行し、左足関節の可動域は約二五度で、長距離の歩行困難、階段登り下りの不自由、自転車搭乗不能等の日常動作上の障害が存することが認められ、右後遺障害は、労働者災害補償保険法の障害等級第一〇級の一〇「一下肢の三大関節中の一関節の機能に著しい障害を残すもの」と認定するのが相当である。
(二) 《証拠省略》によれば、原告は、本件事故当時から現在に至るまで、原告とその家族が経営し、写真機および写真関係商品販売等を目的とする訴外会社の代表取締役(原告の長男竹原義治との共同代表)であって、本件事故当時、訴外会社において、経理事務のほか収益率の高い自社のカメラ月販および右割賦代金の集金業務に従事し、訴外会社より月額金二八万円の報酬を受けていたが、本件事故による傷害および後遺障害のため右集金業務に従事できなくなったこと、そのため訴外会社では集金業務を要しないカメラ販売会社のクレジット販売に切り替えたこと、訴外会社の商品総売上額、総利益は第一〇期(昭和五一年三月一日より昭和五二年二月二八日)に比して原告が本件事故により受傷した第一一期(昭和五二年三月一日より昭和五三年二月二八日)は、売上額において金一億三六八七万円より金一億一八八六万円に、総利益において金三六二五万円より金三五〇二万円に(いずれも万未満切捨)に減少し、第一二期以降売上額には若干の増減があるが一般管理販売費高騰のため総利益は減少傾向にあること、訴外会社は、昭和五四年八月一日以降原告に対する報酬を月額金一三万円減じ、月額金一五万円としたことが認められ、ほかに右認定を動かすに足りる証拠はない。
(1) 原告は、既に現実化した損害として昭和五四年八月一日から昭和五六年九月三〇日(本件口頭弁論終結時)までの二六ヶ月間の逸失利益は月額金一三万円の割合による金三三八万円である旨主張する。
しかし、前記認定事実に照すと、訴外会社が本件事故から一年一〇ヶ月経過した後に原告の報酬を四六・四パーセントも減じたことは、本件事故のため自社月販をクレジット販売に切り替え収益の低下を招いたことを考慮しても合理性があるといえず、しかも訴外会社の収益悪化の主たる原因は一般管理販売費の増加にあり、自社月販を継続しても原告に従前通りの報酬を支給できたとはいい難い。これらの事実を総合すると、原告の報酬の減額による損害は、昭和五四年八月一日から昭和五六年九月三〇日まで従前の報酬月額金二八万円につき前記三(一)認定の後遺障害等級による通常の労働能力喪失率である二七パーセントに相当する月額金七万五六〇〇円の二六ヶ月分合計金一九六万五六〇〇円の限度において本件事故と相当因果関係のある損害と認定する。
(2) 原告が明治三四年八月一九日生まれの男子で、本件口頭弁論終結時(昭和五六年九月三〇日)満八〇才であることは、当事者間に争いがない。そして満八〇才の男子の就労可能年数は三年であって(原告は、現在健康で終身訴外会社会長の地位に就くことができる旨主張するが、将来の逸失利益を算定するについては、当該年令の統計上の就労可能年数を基礎とするのが最も合理性がある)、その新ホフマン係数は二・七三一であるから、原告の将来の逸失利益は、
75600円×12×2.731=2477563円
(円未満切捨)
により、金二四七万七五六三円となる。
従って原告の逸失利益は合計金四四四万三一六三円である。
(三) 原告の本件事故による入院期間は、前記三(一)認定のとおり一七日間であって、一日金五〇〇円の割合による金八五〇〇円を本件事故による入院雑費の損害額と認定する。
(四) 以上認定の諸般の事情、ことに本件事故による入通院、後遺障害、原告の訴外会社における業務執行の状況等に鑑み、本件事故により原告が蒙った精神的苦痛を慰謝すべき金額は金三〇〇万円と認定する。
(五) 以上、原告が本件事故により蒙った損害額は合計金七四五万一六六三円となるところ、原告が支給を受けた労働者障害補償一時金九〇万六〇〇〇円を右損害の填補と認めて控除すると、金六五四万五六六三円となる。
被告は、原告が支給を受けた障害特別支給金二六万円も右損害額から控除すべきである旨主張するが、右は労働者災害補償保険法二二条の三の障害給付として支給される障害補償一時金とは別途に業務上の事由等による負傷等が治ったとき身体に障害がある労働者に対しその申請にもとづき支給する特別の支給金であって、その性質は必ずしも明確ではないが、労働者災害補償特別支給金支給規則(昭和四九年一二月二八日号外労働省令第三〇号)に照らすと、特別支給金は、同法二三条の労働福祉事業として行われるものであって、損害の填補とは異なった福祉手当的性格を有するものであるから、右特別支給金相当額を前記認定の損害額より控除できないというべきである。
(六) 《証拠省略》によると、原告は昭和五四年七月頃埼玉県知事に対し、本件事故による損害賠償請求書を提出したが、一、二ヶ月後に返戻され被告において賠償に応じなかった(右事実は当事者間に争いがない)ため、原告訴訟代理人に報酬を請求金額の一割とする約定にて本訴提起を委任したことが認められ、前記認定の本件事故の態様、本訴請求認容額等を総合すると、金六五万円をもって本件事故と相当因果関係のある原告の弁護士費用損害額と認定する。
(七) 従って、被告は原告に対し国家賠償法二条にもとづき損害賠償金七一九万五六六三円および内金六五四万五六六三円(未払の弁護士費用を除く損害額)に対する本件不法行為の日である昭和五二年一〇月一二日から、内金六五万円に対する本判決言渡の日の翌日である昭和五六年一〇月二七日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。
被告は、前記損害額から控除すべき労災補償金には、給付を受けた日の翌日から昭和五六年九月三〇日(本件口頭弁論終結時)まで年五分の割合による金額を加算すべきであり、また同年一〇月一日以降の逸失利益については、同日以降の遅延損害金を請求し得るにすぎない旨主張する。
不法行為による損害を支払時ごとに発生し、右時点をもって遅延損害金の起算点と解するときは、被告の主張も理由なしとしないが、不法行為による損害賠償債務は不法行為の時に成立し、同時に遅延損害金の支払義務も発生するのであって、同一事故によって生じた同一の身体傷害を理由とする財産上精神上の損害賠償請求権は、一個の請求権とみるのが相当である。被告の主張を徹底するときは、個々の現実の支払、利益の喪失ごとに遅延損害金の起算点を異にする結果となり、訴訟による紛争処理をことさら複雑困難とするものであって、実務上著しい支障を生じ、実益にも乏しい。従って、原告が将来の逸失利益について不法行為時から遅延損害金を請求するのは理由があり、填補額受領の日から口頭弁論終結時までの利息金を填補額に加算する必要はないというべきである。
四 よって、原告の本訴請求は、被告に対し金七一九万五六六三円および内金六五四万五六六三円に対する昭和五二年一〇月一二日から、内金六五万円に対する昭和五六年一〇月二七日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないから失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条、仮執行の宣言および右免脱宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 竹田稔)
<以下省略>